映画プロデューサーのハーベイ・ワインスタインによる性的暴行を告発した2人の女性記者による回顧録を基に映画化した社会派ドラマ。ニューヨーク・タイムズ紙の記者ミーガン・トゥーイーとジョディ・カンターは、大物映画プロデューサーのワインスタインが数十年にわたって続けてきた性的暴行について取材を始めるが、ワインスタインがこれまで何度も記事をもみ消してきたことを知る。被害女性の多くは示談に応じており、証言すれば訴えられるという恐怖や当時のトラウマによって声を上げられずにいた。問題の本質が業界の隠蔽体質にあると気づいた記者たちは、取材対象から拒否され、ワインスタイン側からの妨害を受けながらも、真実を追い求めて奔走する。「プロミシング・ヤング・ウーマン」のキャリー・マリガンと「ビッグ・シック
ぼくたちの大いなる目ざめ」のゾーイ・カザンが2人の主人公を演じる。「アイム・ユア・マン
恋人はアンドロイド」のマリア・シュラーダーが監督を務め、ブラッド・ピットが製作総指揮を手がけた。
SHE SAID シー・セッド その名を暴け評論(20)
原作は2人の共著によるノンフィクションだが、本と映画ではアプローチの仕方が異なる。本も三人称だったが、映画は完全に客観的な視点で捉えられており、原作ではあまり触れられなかった2人の家族が頻繁に登場する。記者・妻・母の3役をこなす2人の立ち位置が明確になり効果的だった。
登場人物が膨大なので誰が誰やらになってしまうかもしれないが、それだけ被害者が多かったということだ。これでも原作よりはだいぶ減らされていたけれど。複雑になりすぎるため整理された部分もあるが、それも正解だと思う。
なにより素晴らしいと思うのは、取材し記事を書いたのが女性記者だったこと。『大統領の陰謀』は男性記者2人によるスクープだったが、本件は女性だからこそ取材が可能だったのではないだろうか。さらに映画化にあたって脚本・監督に女性を起用したこと。先述した家族シーンはそのおかげかもしれない。
しかし映画を見る側としては作品にこんな裏が有ったのかもしれないと思うと心が痛んだ 夢を抱いて後を断たれた女性達がとても気の毒だ、その後も映画には関われないのか?
よくぞニューヨーク・タイムズ紙取り上げて、あんなに各所飛び回って調査してくれたと思う
難を言えば、出てくる人物が多すぎて誰か覚えるの大変、グウィネスパルトロウご本人出演してほしかったなぁ
Mee, too! と言えるために、はじめに「ゼロ」を「1人」に構築したことの価値は尊い。
決して派手さはないけど、中心となって活躍した二人の女性記者がチャーミングだった。特にキャリー・マリガンは、「プロミシング・ガール」を思い出させる。何もかもお見通しのようなコケティッシュな瞳の笑顔に吸い込まれた。子育てもそれなりに頑張るそれぞれの夫も善人なのだろうけど、彼女たちの仕事っぷりにやや引き気味な(露骨に態度には出さないところがとても善人)ところのリアリティもよかった。彼女らの女性上司、アラ還の設定だろうか、ちょっと前だとありがちなジャケットでシャキッじゃなくてさりげない大人のカジュアルファッションが好きだった(色使いとかアクセサリー使いとか、、、)。
それにしても、あそこまで常習化したセクハラというか性的暴行魔、もはや「病気」なんでしょうか、男になったことないからわからないけど。良心のある人だったら受診したのでは?。気の毒です。
というのは前からですが、トップの権力やその振る舞い方(この映画のハラスメントのような悪行も、寄付や財団などの善行も)も桁違い。
それだけに、巨悪と闘うには、相当の覚悟がいるのはもとより、調査、検証、事実、証拠や証言など証左の積み上げにも膨大な時間と労力と根気がいるし、それを支える仲間や人々に周知するシステム(メディア)も不可欠。
日本では、その昔、立花隆さんが現職の総理大臣である田中角栄を文藝春秋の記事で追い詰めたような事例はありますが、その後、巨悪が暴かれたような事例はあったのかな?
そもそも、木端役人のしょぼいちょろまかしや政治家の権力と金の一部私物化は、うんざりするほどあるけれど、まぁ、巨悪というには程遠い(いいんだか悪いんだか😂)。
アメリカ社会は、銃乱射や麻薬などに象徴される、我々には想像がつかないほど深い闇もあるのだろうけれど、社会正義が発揮される時のパワーも凄いわけで、このあたりの映画を見るといつも、ため息混じりに感心することになります。