テキサスの大牧場で暮らす家族の30年にわたる人間模様を描き、ジェームズ・ディーンの遺作となった大河ドラマ。エドナ・ファーバーのベストセラー小説を基に、「シェーン」の名匠ジョージ・スティーブンスがメガホンをとり、1957年・第29回アカデミー賞で監督賞を受賞した。1920年代。東部バージニアの名家の次女レズリーは、テキサスで大牧場を営むベネディクト家の青年ビックと恋に落ち、結婚する。希望を胸にテキサスへとやって来たものの、東部とは全く異なる価値観や生活習慣の違いに戸惑い、なかなかなじむことができない。ビックの助手を務める牧童ジェットは、レズリーに密かに恋心を抱いていた。やがてジェットは石油を掘り当てて大富豪となり、ベネディクト家を去る。牧場主ビックをロック・ハドソン、妻レズリーをエリザベス・テイラー、牧童ジェットをディーンが演じた。2021年1月、「ジェームス・ディーン生誕90周年記念上映」(21年1月29日~、新宿ピカデリー&なんばパークスシネマ)でリバイバル上映。
ジャイアンツ評論(13)
こういう一代記ものは好きだけど、3時間半は長いっすね。
3時間を超えるような長い映画は休憩があるのが普通だが、それもない。
昔の映画だから進行がゆっくりなのかと思ったら意外にテンポが良くて、トイレ行ったら話がわからなくなりそうで、後半はひたすら尿意との戦い…(汗)
どちらもエリザベス・テイラーと組んだ作品。
これの前作が「シェーン」('53)で、日本ではオスカー2作品よりもこちらの方が人気は高い。
アメリカの家族を得意な題材とする監督が、
近代化に向かって大きく動いた時代を背景に、
東部の気位が高い娘が、
アメリカにあっても特異な地域であるテキサスの大牧場一家に嫁ぐことで起きる、
異文化の交わりを描いている。
永年に渡ってアメリカ人が選ぶグッドルッキングのナンバーワンであり続けたエリザベス・テイラーは、この頃まだ20代前半。
美しさの中に凛とした強さが顔立ちに現れていて貫禄すら感じる。
日本ではマリリン・モンローやオードリー・ヘップバーンほどは親しまれなかった(と思う)が、
日本でも美人の代名詞だった。
主演の3人が老け役まで演じているが、卑屈な若者が成り上がり、結局はその孤独を埋めきれないまま破滅していくジェームズ・ディーンの役が最も変遷する。
体格のいいロック・ハドソンに対して、ジェームズ・ディーンは小さく華奢に見える。
人種差別、性差別の因習にとらわれ、家業の牧場を次代に継承することを当然と考える夫。
その夫に毅然と対峙しながらも、深い愛情を示す妻の強さと包容力。
ロック・ハドソンもエリザベス・テイラーも、この二人の関係を見事に演じていた。
紆余曲折あろうとも、お互いに支え合うのがジョージ・スティーブンスの夫婦像。
そして遂に夫が差別と戦う意を決したことを、レストラン店主との乱闘で描く構成は、長い物語のこれこそがクライマックスと言って良い気迫の演出で、この後静かに迎えるエンディングの印象をより強くする。
さて、因習との戦いを本線とした物語であるが、
実は、ジェームズ・ディーンの一途な片想いの物語でもあった。
最初の登場場面から、ジェームズ・ディーンの演技は偏執的だ。
ロック・ハドソンがなぜ彼を嫌っているのか、原因は語られない。
が、ジェームズ・ディーンの演技は嫌われものよろしく、
最後に一人語りでエリザベス・テイラーへの想いを吐露する場面は、
純愛への感動よりも、成就しない片想いに執着した男の憐れを感じる。
長い物語の割に舞台は局地的で、退屈に感じる人もいるだろう。
今の時代に観ると、評価が二分する作品ではないかと思う。
自分は及第点とした(ズルい)が。
(午前十時の映画祭にて鑑賞)
2018-232
私自身に焦りがあるのか余裕がなくて3時間20分という長さのこの映画よりは2時間位のを観たほうが良いのかと思ってしまう反面、観ておきたい気もあって、迷っているなら観るかと思い、ようやく1時間ほど経過しただろうか。映画の出来事は30年に及ぶという、さすがに長いだけある大規模な話だし、テキサスという舞台も大きい。そして、牧場から油田へと大金が絡んでいく。私にはロック・ハドソンのイメージと言うと、エイズ罹患の公言になってしまうのだが、でかい俳優だったのだな。エリザベス・テーラーがとても撮影当時23歳とは思えない風格を見せたりする。ジェームス・ディーンがかっこいいが、ずっと昔テレビコマーシャルで出ていた格好がこれだったかと数十年経過しているか、思ったりする。これを書いている時点で放映が61年前の映画なのだろうし、映画の舞台はもっと前なのだろうか、ロック・ハドソンの役は、当時は普通だったのだろうが、出身国や男女の差別観がある人物だが、エリザベス・テーラーの役の人物レズリーは、それらの差別観を持たない。だが、ハドソンの役の人物も悪い人物ではない。夫婦には男女の双子が生まれた。テキサス人の誇りとメキシコ人への差別観は、使用人だった身分のディーンの役の男でさえ持っていた。この男も根の悪い男ではなかった。ぶっきらぼうでなのである。短い場面だが、原油が噴出して全身かぶるシーンはなんとなくすごかった。その後で、俺はあんたらより金持ちになったぞと原油まみれでやってきて、テーラーに言い寄り、ハドソンに殴られ、殴り返したディーンの一連の流れはなんだかすごかった。そして1分間の休憩タイムが入るが1分ではトイレから帰ってこられないだろう。そしてかなり年月が経過した話になり、泣き虫の子供たちは20歳前後に見えるが、そうした事になった。太平洋戦争の頃なのか。しかし、主役3人の30年後まで演じる年齢幅の見せ方の広さもすごいものがあると思った。双子の息子は医師になると言い、娘は牧場で働く男と付き合うが、やがて小さな牧場を一緒に経営するから大牧場は継がないという。大牧場は時代遅れだとハドソン役の父に言う。子供たちにがっかりしているところに大金持ちになったディーン役の男がやってきて、牧場と石油の二重写しの映像が流れる。牧場を継がず医師になるという息子の嫁は白人ではなく、親と違ってまるで人種差別など考えないのだった。本当に当時23歳かと思わせるテーラーの白髪メイク。赤ん坊の時にテーラーが医師を呼んで救った差別集落の出身だった男の子は戦争で死んでしまった。(実際にその役者は強盗か何かに殺されてしまった人らしい。)その頃にはなぜかハドソンも差別的な感覚も無い感じで青年の死を葬儀で悲しんだ。日本人との戦争かも知れないから複雑なシーンだ。ディーンのジェットもハドソンのビッグも、石油成金の大富豪になっていた。だがいくら大富豪になっても、レズリーに憧れていたジェットは、レズリーの娘のほうを口説こうとしても娘は従わなかったようだ。娘が上手だったか。白人でない嫁が美容室に行くと、
何かと差別されて髪をセットさせてくれない店に飛び込んだビッグの息子が怒って店のガラスに花瓶か何かをぶつけるシーン。人種差別のシーンが散見される。ジェットが支持して美容院に差別させたと、息子がジェットに殴りかかろうとしたら取り押さえられ、逆にジェットが息子を殴り、怒ったビッグが外に出て殴り合いをしようとするが、アル中のようになっているジェットを殴る資格もないと切り捨てた後で、ワインのいくつもの棚をドミノ倒しのようにぶっ壊すシーン。主賓席に戻ったジェットは、スピーチになったが、酔いつぶれてしまい、机に突っ伏す。パーティーは終わったが、
嵐で外の村は大きな被害。それを心配する息子と、息子に語る父親。その頃の父親ビッグは、差別意識を息子の嫁に持たなかった。だが息子はパパも偏見を持っているじゃないかという。ジェットを支持していた娘も含めて、親子4人で揉め合う。娘は牧場の男からジェットに乗り換えたのか、よくわからない。大富豪になっても、酔いつぶれて不安と不満を抱いてしまっていたジェットの気持ちはなんだったんだろうか。結局、既に人妻だったレズリーへの届かない思いからだったのか。そんな誰もいない会場での独白を扉の陰から聴くレズリーの娘。ディーンの熱演が終えても、まだ続ける、人種差別の場面。次はレストランで。白人でないという理由だけで店から追い出されてしまっていたという人種差別。大変な偏見だったのか。それに怒って、店主に手を出して喧嘩になるビッグ。これはオヤジのかっこいいシーンだ。このシーンには涙が出て来る。背景に流れる音楽がなぜかマーチなのだ。ビッグの見せたのが本当のアメリカンスピリッツではなかったか。しかしビッグはノックダウンされてしまった。だが後でそれを誇りに思い、優しく介抱するレズリー。ゆったりとした夫婦愛だ。小さな牧場をやりたい男女は、また娘とは別の人たちみたいだった。ちょっと人物の区別がわからなかった。初めてみる人、特に外国人だと誰が誰だかわからなくなることもある。
大富豪なのに私は負けたというビッグに対して、レズリーは何より立派だったのは店で倒れていたあなたよ。最高のヒーローだったと言う。
どんな映画かも分からず大した期待もせずに見たら、テキサスの大牧場一家の一代記で、人間のエゴや業をえぐるような大作で面白かった。もっと面倒くさいお高い映画かと思っていたら全然違っていた。
ジェームズディーンがどんな振る舞いも仕草もいちいち様になっていてかっこよかった。無理しておじさんを演じているのも面白かった。
ただ、黒人差別をよくないというようなリベラルなメッセージ性のある映画なのだが、デニスホッパーの黒人の嫁が黒塗りした白人だった。当時は黒人女性をヒロイン的な役で映画に出してはならないという決まりがあったのだろうか。そうだとしたらさぞ悔しかったであろう。