言葉が失われた荒廃した世界で生きる人間たちの姿を全編モノクロ、セリフなしで描いた異色ドラマ。言葉のない世界で原始的な廃墟のような建物で自給自足の生活を送る一人の女。狩猟で蓄えた食料は行商人と物々交換し、女の体と食料を目当てに来た山賊に襲われることもあるが、女はたくましく日々を生きている。ある日、女の仕掛けた罠に1人の若い男がかかる。女は男を家に連れて行くと、男はなぜか女になついていく。女も情が移ったのか、2人は共同で生活を開始する。そんな日常が続く中で、徐々に人間のさまざまな欲望が顔を見せていく。主人公の女を「菊とギロチン」「岬の兄弟」の和田光沙、若い男を「かかってこいよ世界」の飛葉大樹が演じ、仁科貴、寺田農が脇を固める。監督は「いつかのふたり」の長尾元。
映画(窒息)評論(6)
大きな廃建造物の廃墟が一つあるだけの山の中、動物を狩り川に水を汲みに行き木ノ実やキノコを採取し暮らす女。
他に人がいないのかと思ったら、物交にやってくるおっさんに、女を襲いに来た男達、そして仕掛けに掛かった若い男と現れ展開していく。
原始的ではあるけれど、廃墟や一部の小物は現代のものでありどこか近未来的にも感じる。
登場人物は少ないながら、ダメな男の性と愛想を尽かす女という感じがよく見えて、なかなか面白かったのだけれど、終盤何だか良くわからない感じに。
なんだかんだ依存していたとかそんなこと?
ちょっと良くわからなかった。
エンドロール無しのぶった切りラストは、ちょっとびっくりだった。
映画への挑戦状であり、映画へのラブレターでもある。
和田光沙さんが演じる“女”にグイグイ引っ張られていきました。
生きることへの貪欲さが素晴らしい!
加えてユーモラスでキュートな魅力も(←これ大事)
『岬の兄妹』も感動しましたが、振り向く姿に痺れます!
しょっぱなから攻めてます。笑
でも、昔の映画って驚くほど前奏曲(序曲)がたっぷりあって、インターミッション(間奏曲)もあったりしますから…。
そこかしこに映画へのオマージュやリスペクトが散りばめられています。
重厚でレトロな音楽がまた良い!
セリフが無いぶん環境音や音楽が雄弁に語ってくれます。
それだけにラストの潔さには驚きました。
映像力で押し切る気かと思ったら、更に驚く展開が!
梶芽衣子や寺山修司を彷彿とさせる、70年代っぽい手触りはこの為だったのか!?
人が3人集まると社会が生まれる。
良くも悪くもパワーバランスが生まれてしまうのは人間の性なのでしょうか?
そしてこんなにシンプルな世界でも、女は性の脅威に悩まされるのか。
いや、むしろシンプルな世界だからこそ浮き彫りになる。
スリリングな展開から目が離せませんでした。
あと、ロケ地!
あの木があるだけで勝ったも同然。
冒頭一分ほど音のみが流れるので、機材トラブルかと不安になる。笑
身も蓋もないが、言語の断絶ついては他者が完全にいなくならないと起こらないと思う。
女は行商人との交易もあり、山賊は三人組なので、このへんは映画的な試みでしかないだろう。
しかし、手を合わせたり首を振るなどのジェスチャーすら失われていて、意外と徹底されていた。
表情と声(音)だけで表現した役者陣は見事。
青年との出会いと“水道”の開発が大きな転機になる。
協力したり、火起こしや水汲みの時間を“発展”に充てられるようになることで、文明は加速度的に進歩してきた。
だが本作では逆に、その“ゆとり”が残虐性を発芽させる様が描かれる。
“水道”がなければ少なくともあの形のイビリはなく、もっと直接的だっただろう。
悪夢の人影を実体化させることで、“力”を実感し暴走した青年への畏怖と嫌悪が上手く表現されていた。
建物や遺物の残り方に違和感があるが、言語と一緒でそこにリアリティを求めるべきではないだろう。
とても実験的かつ挑戦的な作品で、まさかの毒キノコで痙攣など笑いどころもあって、ジャンル分けすら難しい。
ラストの“水道”崩壊など冗長な面も目立つので、無駄を省けばもっとよくなりそう。
恐らく相当な低予算かと思われるが、アイデア含めかなり楽しめました。
雨だれを楽しむところは完全に『少女終末旅行』だったなぁ。笑
劇中言葉を使わないことで、映画表現上、台詞無しで表現できる事と逆に台詞必須の事が明確になっているように感じた。言語化し難い感情や閃きや衝動を表現するのが美術や音楽のようなアートだが、映画や演劇は言語化できるものとできないものの境界線上にあるのかな、などと色々考えさせてくれる、なかなかの秀作だと思った。