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永遠の人 プロット 日本 09月16日 1961 台灣上映
永遠の緑 プロット イギリス 01月01日 1900 台灣上映
永遠のアンバー プロット アメリカ 04月10日 1952 台灣上映
永遠のエルザ プロット アメリカ 04月15日 1972 台灣上映
永遠のマリー プロット イタリア 01月15日 1993 台灣上映
永遠のモータウン プロット アメリカ 05月01日 2004 台灣上映
永遠の1/2評論(1)
似ている男・野口修治の幻影を追いかけながらも、良子との蜜月を過ごす宏。そんなところへ女子高生のいづみ(中嶋)が現れる。彼女もまた修治を追いかけていたのだ。ペテン師ぽい人物の修治の相手が女子高生という設定はイマイチだけど、中嶋の可憐さに免じて許してしまう。
似ている男によるトバッチリはそれほど面白くないし、中途半端でもある。もしかして時任による二役で結末を迎えるかと思えば、これが全く似てない男。背格好は一緒だ(この野口が実はSABU監督という驚き)。
「いつまでたっても何かの半分なんだよな」というタイトルの意味。これが似た男の存在によって意味を深めてくるけど、良子による「この人、本当に言いたいことを言えない」というのも彼の性格を表している。これを考えるとラストの傘のシーンも意見が二通りに分かれることも、どちらかというと明るい方向に進むと思う。彼女の性格からしてついていくだろ・・・
バツイチという言葉も生まれていなかったバブルの初期。「出戻り」なんて言葉が使われていたのも懐かしいが、そのバツイチという言葉が大竹しのぶと別れた明石家さんまが使ったことから流行したというのも面白い(?)。
『ファイト・クラブ』『シークレット・ウィンドウ』『シャッター・アイランド』と比べるなんてのはおかしいぞ!
ヌード:田中こずえ、大竹しのぶ