「バットマン」の悪役として広く知られるジョーカーの誕生秘話を、ホアキン・フェニックス主演&トッド・フィリップス監督で映画化。道化師のメイクを施し、恐るべき狂気で人々を恐怖に陥れる悪のカリスマが、いかにして誕生したのか。原作のDCコミックスにはない映画オリジナルのストーリーで描く。第79回ベネチア国際映画祭で、DCコミックスの映画作品としては史上初めて最高賞の金獅子賞を受賞して大きな注目を集め、第92回アカデミー賞でも作品賞ほか11部門でノミネートされ、主演男優賞と作曲賞を受賞した。「どんな時でも笑顔で人々を楽しませなさい」という母の言葉を胸に、大都会で大道芸人として生きるアーサー。しかし、コメディアンとして世界に笑顔を届けようとしていたはずのひとりの男は、やがて狂気あふれる悪へと変貌していく。これまでジャック・ニコルソン、ヒース・レジャー、ジャレット・レトが演じてきたジョーカーを、「ザ・マスター」のホアキン・フェニックスが新たに演じ、名優ロバート・デ・ニーロが共演。「ハングオーバー!」シリーズなどコメディ作品で手腕を発揮してきたトッド・フィリップスがメガホンをとった。
ジョーカー評論(20)
二度とも、映画自体の出来は大変良いと感じました。隙のない作りこみの施された労作であることは間違いないと思います。
しかし点数を低くつけざるを得ないのは、この映画の構想そのものが蛇足に思えるから。
傑作『ダークナイト』でのジョーカーの破格の存在感は、彼が決して凡人には共感も理解もできないところから生まれ、想像もできないような異質な内面世界を生きているという、圧倒的な断絶を見せつけるところから生まれていたと思う。ジョーカーの持つ破壊衝動や憎しみを、我々凡人は「動機」などというこの社会の言葉で理解したり表現したりすることは決してできない。その完全な異質さこそが、彼の恐ろしさでもあったはず。
けれども、この映画はそもそもジョーカーを我々の理解できる存在として描こうとしてしまった。いわく、社会不適合者ではあるけれど根は善人である彼が、自分ではどうすることもできない不遇の連続の中で、社会に対する敵意をふくらませていったのです、彼が今の彼のようになったことは、我々にも十分共感できることです、何なら私達一人一人だってその責任の一端を負っているのじゃありませんか、と。そういう説明じみた背景譚が、果たしてこの一連のシリーズの中で果たして描かれる必要があったのだろうか、疑問しか感じない。
彼がジョーカーへと変貌する過程のエピソード自体が虚構をはらんだメタレベルのフィクションだという理解もあるようだが、そんなことはどうでもいい。たとえそうだとしても、この映画はそもそもの成り立ちからして、ジョーカーを庶民の手の届く・共感できる存在に貶めてしまうものだったのだから。
確かに、アーサー(ジョーカー)が福祉施設で、カウンセラーと話すシーンは圧巻だ。ジョーカーに、カウンセラーが否定的な思考があるか聞くが、ジョーカーは何も聞いてくれないと彼女にいう。彼女が聞く姿勢を持っていなく事務的なのは感情移入が恐ろしいのかもしれないし、カウンセラーとして未熟なのかもしれない。と思っていたら、この事務所が閉まり彼女も仕事を失うことがわかる。
アーサー(ジョーカー)が自分の生きてい間に、自分が存在しているという自己に意識がないと。
その後、地下鉄で殺人をすることにより、『人々に注目されてきた』と気分がよくなってきている。悪事を働くことでも、人から注目された方がいいらしい。現代社会でこういう類の犯罪が増えているが、自分が虫けら以下の存在で誰も相手にしてくれないことを十分味わってるんだろう。コロナ禍のなかで、人々との関係が希薄化するなかで、精神的に不安定な人や自分がどこでも認められないという悩みをもつ人がもっと増加しているだろう。
きっと自分にポジティブになれないし、社会の悪いことばかり気になり、社会のためにちっぽけなことでもなにかすることはできないんだろう。それに、ましてや、社会が混乱して、悪事を働いた物を祭り上げる社会で、カオスだから。
アーサーの場合、精神病を抱えているから、こういう社会で生きていくのは何よりも大変だろうが。母の偽手紙のあとで、益々自暴自棄になったり、自分勝手な暴力行為に出て、自分中心に物事を考え、私からの観察だと、自分を正当化して悲劇の主人公になっているように思える。
正直言って、いつでもいいから、アーサーの話を聞いてあげられる人、そして、彼が精神的な繋がりがどこかで持ってたら、数多くの殺人を犯さなかったかもしれないし、かれの生き方もよく変わっていたかもしれない。
最後までやっと観たが、監督の主旨が読み取れないが、米国社会の多種多様な問題が、人間関係の希薄、犯罪、虐待、精神障害の人々の立ち位置、権力の横暴、テレビ局の質の低下、医療福祉の崩壊、群衆心理などが、ぐちゃぐちゃに出てきている。アーサーにまったく同情するわけではないが、弱者がもっとも生きにくい世の中になり、それが、犯罪につながっていってしまっている。この状態が精神的に課題を抱えているアーサーにとって拍車がかかってきてしまっている。
コロナ禍のなか、私たち一人一人が大切されたいし、大切にしたい。
この映画はアーサーほどではないにせよ、だれでも少しは持ち合わせているであろう、狂気性を見事に体現している。
だから観終わった後、後味の悪さが残った。
暗いけど、いい映画だと思います。
映像がレトロチックで、チャップリンの映画を彷彿とさせる。
都会の街があまりにも汚く、ゴミが多い。治安も悪く、ストライキのデモで人々は荒れている。何一つ明るい話はない。
そんな中、劇中で何度もでてくるアーサーの泣き叫ぶような笑い声が不気味に響いていた。
あと洗濯機だか冷蔵庫に入るシーン
コワイ
コワイ
コワイ
今回改めて思ったのが、
狂気な物語を見ると自分も狂気側に引き込まれてしまうのではないかという怖さ。
だから、ホラーやサイコ物は苦手💧
本当にコワイ。
無理。
レビューにならない💦
ホアキンの演技、すごい。
落ち着いたらジャック・ニコルソン版観てみます✨