1968年に起きたコロンビア大学の学園紛争をモチーフとし、70年・第23回カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞した青春映画の名作。ごく普通の大学生サイモンは、学生運動に参加する女性リンダと知り合い、リンダと親しくなりたいがために闘争にも参加するようになる。しかし、サイモンの闘争に対する姿勢が気に入らないリンダはサイモンの下を去ってしまい、失望したサイモンは急速に学生運動にのめりこんでいく。バフィー・セント=マリーが歌うテーマ曲「サークル・ゲーム」やジョン・レノンの「平和を我等に」など、時代を彩る名曲の数々も話題に。2011年、初公開から40年ぶりにニュープリントでリバイバル公開。
いちご白書評論(3)
体制派はカッコ悪い。最初は軽い気持ちだったに違いない。皆の中心になってアジテートすることに陶酔するような感覚かもしれない。リンダと仲良くなりたかっただけかもしれない。彼女には恋人がいたのに、それでも“革命”中だけでも付き合っていたかった。根っからの活動家としての彼女とは若干意見が違っていたので、ボート部員に殴られたことを逆手に取って警官に殴られたように見せ英雄視されたりもする。公園でいちゃついてるときに5人組の怪しい男達に襲われそうになったこともあって、一つ一つの行動が“生きる証し”となって反戦を唱え暴力を否定する。
70年以降衰退していった学生運動にちょっとでも身を投じてみたかった憧れもあってか、かなり好きな映画。音楽も「サークルゲーム」を始め、CSNYやニール・ヤングの音楽が心地よく響く。そして、ラストの講堂を占拠した学生達に対して警察と軍隊が出動する光景。常に暴力を否定している彼等に対する横暴な権力側の暴力。いたたまれない気持ちになると同時に爽やかに青春時代を語っているようで心地よさが残る・・・
物語は1968年4月に実際にあったNY のコロンビア大学学園占拠事件の顛末を、サイモンと言う学生の目を通して描いたもの
コロンビア大学はNYだか、ロケ地は坂や民家の建物の形からサンフランシスコだと分かる
カルフォルニア大学バークレー校で撮影したようだ
ラストは州兵を伴った機動隊の突入による強制排除のシーンで終わる
ヘルメットも、覆面も、ゲバ棒も無い
緩くて温い学園紛争に見える
同じ頃の日本の学園紛争はどうだったか?
1968年7月東大安田講堂がバリケード封鎖されている
そして翌年1月あの有名な機動隊突入による強制排除に至っている
40メートルの高さがある安田講堂屋上から雨のように投石をして抵抗する学生と、盛んに催涙ガスと放水をかける機動隊の攻防
その記録映像を視たことがある人も多いと思う
投石により機動隊員に死者まででたのだ
そんなにも激烈だった日本の学園紛争からみれば、なんとも生ぬるく感じてしまう
改めて観て日付を確認してみて気付きがあった
本作劇中で盛んに黒人の人種平等問題に学生達が触れている
同年4月黒人公民権運動の指導者キング牧師暗殺、同年7月、つまり本作の事件の1ヵ月後にデトロイト暴動が起こっている
別々のようで密接にリンクしていたのだ
ストロベリー白書とは、コロンビア大学の学部長が、学生の意見は「赤い苺が好きだよ」みたいなことだと言い放ったことから取られたという
しかしそれには続きがある
本作の劇中で主人公は「いちご?どこが悪い?」と友人にきくと、「赤い色だろ」と理由を教えてくれる
この台詞が無いと本当の意味は伝わらない
単なる侮蔑の言葉ではないのだ
つまり学部長の発言の本当の意味は、学生達が目指しているのは大学運営の改革などではなくて、実は赤色革命=共産主義革命を目指していると言っているのだ
学生達が占拠した校舎の部屋にはチェ・ゲバラや毛沢東のポスターがアイドルのように多数貼られている
チェ・ゲバラは1967年10月に南米ボリビアに革命を輸出しようとして失敗しボリビア政府軍に捕らえられて銃殺されている
毛沢東は文化大革命で同胞の中国人数十万人の虐殺に忙しくしていた頃のこと
こんな連中を礼讃している連中が学生紛争を扇動していたのだ
それを学部長は皮肉を込めて指摘していたのだ
劇中序盤の頃のアジ演説で要求していたのは、まあもっともな事柄が多かった
それがいつの間にか乗っ取られて革命まで先鋭化していく
尻馬にのっていつの間にか自ら主人公も過激な活動家になってしまっている
冷めた目で見れば集団ヒステリーだ
甘ったれのすねかじりの癖に
日本の学生紛争は死者までだす程に集団ヒステリーの度合いがひどかったと言うことだ
まるで「日本のいちばん長い日」に登場する終戦を拒否して徹底抗戦、本土決戦を叫んで反乱を起こした青年将校達と同じだ
本作は学生紛争をどのような目で捉えているのだろうか?
ラストの機動隊による暴力的な強制排除のシーンがあるから学生側なのだろうか?
実は違う
ゴキブリはゲリラみたいだという台詞のシーン
彼は食べ物カスと一緒にゴキブリをコップで封鎖する
やがて、主人公は学園を封鎖する学生達をゲリラと呼び、自分もそこで食料係になり、学園封鎖に協力するのだ
さらに単なる喧嘩で出た血なのに、警官にやられたと捏造して英雄になりすますのだ
また当時は高価で親に買ってもらったであろう8ミリカメラをチンピラに壊されて、その腹いせに紛争を過激に煽っているくだらない人間なのだ
このように批判的なシーンが幾つもある
過去を振り返って、批判の眼差しを自己に向けて撮られているのだ
そこは大変好感をもてた
日本の同種の映画ような自己肯定、無批判、それどころか自己陶酔の映画ばかりを残した姿勢とは雲泥の差だ
「いちご白書をもう一度」という日本のヒット歌がある
1975年にフォーク・グループのバンバンがリリースした曲だ
メンバーだったばんばひろふみさんが今も歌っている
作詞・作曲はあの荒井由実
歌の内容は1970年9月の公開当時に二人で授業を抜け出して見に行った映画が、5年ぶりに名画座でかかるとポスターを見ての感慨を歌っている
1970年9月はまだまだ学園紛争は熱い頃だったろう
歌詞にこんなフレーズがある
就職が決まって髪を切ってきた時
もう若くないさと君に言い訳したね
つまり集団ヒステリーだったのだ
この歌はそれを正直に吐露している
だから大ヒットしたのだ
この歌には自己批判があるのだ
本作の主人公サイモンとリンダも、いちご白書をもう一度の歌詞の男女も、今はもう72歳だ
本作の冒頭とエンディングで、サークルゲームというジョニ・ミッチェルの有名な1966年のヒット曲が主題歌としてフルコーラス流れる
歌詞の一節を抜粋するとこうだ
明日を夢見る少年はもうはたち
実現させようと抱いていた壮大な夢は消えてしまったけれど
きっと新しい夢が
もっと素敵な夢が一杯うまれるでしょう
季節が巡り終わる前に
季節は巡り
木馬ははねる
時のメリーゴーラウンドにとらわれて
でも戻れない
振り返るだけ
巡って巡って回転木馬
エンディングで流れる途中、主人公が「生きている証だ!」と叫ぶ
いまは2020年
あれからちょうど50年半世紀が過ぎさったのだ
共産主義への夢はとおに崩壊したのだ
そして、少年はもう72歳なのだ
新しい夢、豊かな夢を実現させて幸せな老後を送っている人が多いことと思う
しかしあの時の古い夢を未だに見つづけている団塊左翼老人もいる
それが未だに「生きている証」なのだろうか?
もう戻れないのだ
振り返るだけにして欲しい
「いちご白書をもう一度」の歌のように
本作を観て彼らに共産主義への見果てぬ夢を洗脳されないようにしないとならない
今や体制派は今や彼らなのだ
マスゴミや学校を牛耳っているのは彼らだ
若者は騙されてはいけないのだ
政治的に共鳴しない私でも主題歌「サークルゲーム」を中学時代何度聴いただろう。