2021年本屋大賞を受賞した町田そのこの同名ベストセラー小説を、杉咲花主演で映画化したヒューマンドラマ。自分の人生を家族に搾取されて生きてきた女性・三島貴瑚。ある痛みを抱えて東京から海辺の街の一軒家へ引っ越してきた彼女は、そこで母親から「ムシ」と呼ばれて虐待される、声を発することのできない少年と出会う。貴瑚は少年との交流を通し、かつて自分の声なきSOSに気づいて救い出してくれたアンさんとの日々を思い起こしていく。杉咲が演じる貴瑚を救おうとするアンさんこと岡田安吾を志尊淳、貴瑚の初めての恋人となる上司・新名主税を宮沢氷魚、貴瑚の親友・牧岡美晴を小野花梨、「ムシ」と呼ばれる少年を映画初出演の桑名桃李が演じる。「八日目の蝉」「銀河鉄道の父」の成島出監督がメガホンをとり、「四月は君の嘘」「ロストケア」の龍居由佳里が脚本を担当。タイトルの「52ヘルツのクジラ」とは、他のクジラが聞き取れないほど高い周波数で鳴く、世界で1頭だけの孤独なクジラのこと。
52ヘルツのクジラたち評論(13)
孤独を癒すには、人と人のつながりを恢復するしかないのだろう。
涙が止まらないのは、傷の残酷さを見たからだろうか、それとも恢復に希望を見たからだろうか。
今年初めて、何度か見たいと思った映画です。
なかなか意義深い内容ですけれど、悲酸な現実ばかりが強調されている印象で、正直もうこんな世の中嫌だー!なんて思ってしまいます。このドラマで泣いて明日から自分の人生をしっかり生きていこうと思ったり、この事柄は決して絵空事ではないのだからしっかり受け止めあらゆる現実に目を向けていこうと思ったり・・・分かりやすくてよく理解できる作品で、質も高く見応え十分、それ故に難しさも感じます。
届かない声を聞くには、同じように届かない声を持つしかないのか。
知った痛みだけを感じていたのでは、この世の不公平も不幸も決して消えないだろう。
杉咲花の貴瑚、すごかった。
貴瑚を廃人の状態から救い出した安吾だけど、安吾の苦悩は貴瑚のそれより見ようによってはしんどかったと思う。
変えられるものと変えられないもの。
心と体は一体化しているので、切り離しては生きていけない。
この世の地獄を生き抜くにはそのままの自分を受け入れてくれる愛が必要だという事をまた思い知った。
原作を読んで思う。
52ヘルツの鯨について考える。
知らなければ気づかずにいた孤独が、仲間がいるかもしれないと知ってしまった時にどれほどの重さでのしかかってくるのかと想像したら、とてもじゃないけど立っていられないわね。
一人で楽しく歌ってた歌が、実は仲間を呼ぶ手段だと言うことに気づいてしまうのだろうか。それとも最初から、仲間を呼ぶために歌ってるんだろか。どちらにしても壮大な寂しさは消えない。
そして貴瑚はそれを自分の境遇と一緒だと考える。
仲間であるはずの家族の中で、一緒に暮らしているのに自分の声が届かないってどんな感じなんだろう。
『ウーマン・トーキング』の時も、同じコミュニティの中で同じ思想を持っていたはずの男性と通じる言葉を女子は持たなかった、言葉がまるで通じない人たちとの暮らしを強要されていた、と私は思ったのだけど、この話を読んだ時にも思った。
こんなに色んなものが発達した今でも消えない児童虐待、毒親、LGBTQ、介護のような社会問題が、貴瑚の人間関係を通して複雑に絡み合っていく様、いや、後半になるにつれ絡まっていたものを解いていく作業になるのか?何より貴瑚の全てを変えたアンさんだけど、アンさんのペンチで掴んで捻るような猛烈な心の痛みと葛藤がとにかく強烈で、読み進めるのが辛かった。
貴瑚の名前は、珊瑚の一部にもなってて、とても美しい意味をもつ素敵なお名前だと思う。生まれた時はきっとすごく大事に思ってつけられた名前のはずなのに。
虐待で亡くなる子どもの名前を見てると、熟考された可愛いお名前が多い。
そういうニュースを見るたびに、生まれた時は絶対みんな生まれてきてくれてありがとうの気持ちで名前をつけたんだろなぁと思わずにいられない。
心から悲しくなる。
いまこの瞬間にも52ヘルツの歌声を放っている人々が沢山いると思う。
出来るだけその声を聞き逃さないように、キャッチできるように、自分のアンテナを日々チューニングし直していかないといけないなと思う。
泣ける映画とかじゃない。
心が痛くて自然と流れる涙もあるのだ。
東京から大分の海が見える場所に越した三島貴瑚の現在と過去の話。
雨の中、古傷が痛み倒れる貴瑚、そこへ傘をさしてくれた言葉を話さない髪の長い少年…ビショビショに濡れた為、自宅にてシャワーを浴び様とその少年の着ていた服を脱がすと虐待の傷跡が、自分の子供の頃とリンクした貴瑚はその少年を放っておけなくなる…。
原作未読
序盤の脱衣場で少年の身体の傷跡から涙が出てしまって。作品とはいえ子供が親の事情でこんな思いをするのは悲しい、子供の頃の貴瑚も親から虐待、懸命に義父の介護と…、疲れきった彼女の心の声に気づき手を差しのべてくれた安吾と学生時代のともだち美晴との出会いと再会。
「52ヘルツ…」という文字から自分の名を52と命名した少年、52の世話になった処で愛と書いて「いとし」という本名が分かる。
過酷な現在と過去の描写が流れるなか時折流れる癒しの雰囲気と優しい時間、何で安吾は露骨に分かるアゴ髭?何て思ってたけど彼、いや彼女の苦悩と気持ちが分かった時には涙。
自分から安吾にキナコと呼んでと言っておいて安吾に私は貴瑚と訂正したのは悲しかった。
察して出ていった愛の「キ・ナ・コ」と呼ぶ声と、髪を切ってもらってる時の愛の笑顔には泣けた。ちょっと悲しい話ではあったけど悲しさの中に優しさもありで楽しめました。