レベッカ(1940)劇情

鬼才アルフレッド・ヒッチコックが「風と共に去りぬ」で知られる名プロデューサー、デビッド・O・セルズニックに招かれ製作した、アメリカ進出初作品。南仏のリゾート、モンテカルロにやってきたヒロインの“わたし”は、イギリス人の富豪マキシム・ド・ウィンターと出会い、結婚する。イギリスにもどったマキシムと、広大な邸宅で新たな生活を始めた“わたし”だったが、マキシムには1年前に亡くなった前妻レベッカの存在があった。邸宅を仕切る家政婦のダンヴァース夫人は、いまだレベッカを崇拝し、上流階級に溶け込もうとする“わたし”は、精神的に追い詰められていく。やがて事態は思わぬ方向へ転がっていき、レベッカの死因を改めて調べられることになるのだが……。第13回アカデミー作品賞受賞。1940年製作で日本では51年に劇場初公開。2020年9月、人気声優による名画吹き替えプロジェクト「NEW ERA MOVIES」で新たに制作された吹き替え版(わたし役=早見沙織/マキシム・ド・ウィンター役=三木眞一郎/ダンヴァース夫人役=宮村優子)で公開(モービー・ディック配給)。

レベッカ(1940)演員

レベッカ(1940)劇照

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レベッカ(1940)評論(12)

snymoex
snymoex
不慮の事故で亡くなった夫人・レベッカの周りで起こる怪しくも美しい日々を描いた作品。
レベッカの存在感が半端じゃなかったです。『桐島〜』は、本作をモデルにしているのでは?一人の人物に振り回される脚本にはヒヤヒヤしました。
ivzmxmg
ivzmxmg
ネタバレ! クリックして本文を読む
男を狂わせ
周囲を翻弄し
最期の最後まで”Rebecca”だった前妻。

彼女の何が恐ろしいかって、自分の死後も、残された者がトラウマを抱えて不幸になるか、少なくとも騙されたと知って傷付くことを望んでいることですよね。そこまで計算していない、単に自分勝手だった、とも言い切れませんけど。

ウブなボンボンが金目当ての悪女に騙されたという、Maximの初婚はある意味典型的な構図。
上流階級の身のこなしなど無縁だった若き新妻は、大金持ちと結婚して苦労する。
2人とも結婚を通し、いや、Rebeccaを通し?随分学習して成長することに(^◇^;)。

使用人達は皆、新妻を意味深に見つめMadamと呼び、Mrs. de Winterと言えばRebeccaのこと。ヒロインの心細さがこちらにもヒシヒシと伝わって来ました。

Rebeccaのせいですっかり女性不信となり、愛されているか繰り返し確かめるMaxim。伴侶の愛が自分に向けられているか、それが最も大切だと気付いたようでした。

元来Maximは女性の装いに無関心。
妻の身だしなみに関心があって高価な服をプレゼントする、と言うのはRebeccaが都合良くでっち上げたのでしょう。

Jackが逢引の約束の手紙を見せますけど、それは〈Jackが現場にいた≒(例えばフラれて)犯人である可能性〉も示唆するのに、自殺の動機があるかないかにばかり焦点が行っていました…。社会的地位と、皮肉にもRebeccaの外面と名演によって、ある意味Maximは疑惑から遠のくことができたんですね。前妻が憎ければ、普通跡形も無くさっさと遺品を片付けるだろうに、専属の使用人をそのまま雇用していたせいで生前と同じ状態を保つことになった点も、あたかも相当な未練があるかのようなカモフラージュになりました。

Mrs. Danversが怖すぎる!
戸口で上から下へジロリと見下す仕草は、Mrs. Van Hopperそっくり。
自分だけはRebeccaの全て、真の姿を知っていると信じて優越感に浸っていたのでしょうが、自分も知らない真実があったと知って精神崩壊!心酔していた分、最も騙されていたのはMrs. Danversだったのかも知れません。

黒髪の絶世の美女だというRebecca…。
このイメージばかりは、各自の頭の中だけで妄想するのがベストですね!

良妻の条件が、"breeding, brains and beauty"と信じたMaxim。しかし、”so lovely, so accomplished, so amusing” に見えたRebeccaには ”love, tenderness..... decency” が欠如していると知り落胆。

Rebeccaが誇った“beauty, wit and intelligence” を自分は持ち合わせていないと落ち込む新妻に対し、それらより”kindliness, sincerity and modesty” といった、夫から見てもっと大切な要素を持っているじゃないかと慰めるFrank。

さぁ、3つだけと言ったらどれを選びます?(^^)

原著は子供の頃に挑み途中で挫折…(>_<)。
映画はさすがHitchcockだなという演出があり、ぐいぐい引き込まれました。ロマンチックサスペンススリラーとして完成度高いです。
wjxirww
wjxirww
レベッカの影に怯えるショーンフォンティーンが、清楚で美しい。そして、家政婦がすこぶる怖い。
血や殺人シーンが無くても徐々に追い詰められる、心理的サスペンスの名作だと思う
rzxxiz
rzxxiz
なっっっが
でも全然 結末なども予想出来なかったしすぎょい…
光や影の使い方、写し方が独特で素晴らしいと思うけど昔 感覚の感情や流れ にはやっぱり違和感の方が多い
eqnbig
eqnbig
今夜も石橋秋のヒッチコック祭りです!
今作で、4作目となるヒッチコック作品。少しずつ奥深くまで入っていきましょう!

今日のテーマはヒッチコックが描くキャラクターのパワーバランスを見ていきましょう。

パワーバランスというのは、映画の中でふたり、もしくはそれ以上のキャラクターのうち、誰がその場をコントロールしているかということです。これは、どのストーリーテリングでも大切とされていることですが、その理由は、我々現実世界では、パワーバランスを必然的に感じているからです。
パワーバランスをどの目線から視聴者に見せるかというところで、映画の方向が決まり、現実世界よりも一歩先に入った映画の世界を楽しむことができるんですね。

ヒッチコックがそのパワーバランスをどのように使っているのでしょうか?

今作を例にとって見ると、一番最初のシーンであっても、イーディス夫人の元に雇われていた主人公には、明らかにイーディス夫人とのパワーバランスがありました。しかし、一度大富豪のマキシムと出会い、婚約することになると、立場は逆転し、主人公がイーディス夫人の元から去ることになります。
この主人公とマキシムのキャラクターを紹介するような小さなシーンだとしても、視聴者はそのパワーバランスの逆転に爽快感と興奮、期待感を感じ取ることができます。

ヒッチコックはこのように、小さなものから、ストーリー全体にかかるような大きなものまで、数多くのパワーバランスの逆転をキャラクター間につくりあげています。それがあるから、サスペンスが生まれ、ドラマが生まれ、ロマンスが生まれる。
この数と、そのダイナミックさがヒッチコックの大きな特徴です。

パワーバランスがキャラクター間に存在すると、視聴者はどちらかの見方につきます。さらに、そのパワーバランスが逆転しそうでしなかったり、それが原因で大きく開いてしまったりすると、さらいにそのエンパシーは強くなっていきます。そして、それが思わぬタイミングで逆転した時、もしくは願ったり叶ったりのタイミングで逆転した時に、その話はクライマックスを迎えるのです。

Aプロット、Bプロット、Cプロット、、、、と映画の中には多くのストーリーが絡み合ってできているのですが、その全てのプロットにパワーバランスの構築と逆転、もしくは再逆転を描くことで、ここまで奥行きのあるストーリーが生まれてくるのです!

ヒッチコックの映画で、長いなーと感じてしまったことがある人は多いかもしれませんが、その理由はヒッチコックが作り上げたいくつかのプロットのパワーバランスを理解できていないからでしょう。それは、文化的な違いなどもあるかもしれませんが、その多くはただ単に人生経験が浅いからです。(断言)
これは、つまりは、今後1年後、5年後、もしくは10年後、はたまた50年後に見た時には、全く違った感情をヒッチコック映画から感じ取ることができるということです。

2度と同じ感情を得ることができないのがヒッチコック作品。
これこそまさに、視聴者がいてこその映画です。視聴者が自分から足を映画の世界に踏み入れるからこそ無限の世界を楽しむことができる。まさに、映画界の天才。偉人です。

ぜひ皆さんも、ヒッチコックの極上の映画を楽しんでみてはいかがでしょうか?