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カティンの森評論(12)
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映画を見終わったとき、そんな疑問をもった。
それほど、沈痛な思いにさせられる映画だった。
でも、ここで思考停止になったら、
それこそ、この映画を見た意味がなくなるのではないか。
僕は考えた。
ドイツとソ連の中間にあるポーランドの悲劇がこれでもか、
これでもか、と次々に描かれる。
夫を待ち続けるアンナとニカという母と娘の主人公はもちろん、
兄の本当の消息を知って、国家に反逆する妹アグニェシュカ。
国家の意図を無視して、ポスターを破っただけの若い学生とそれを
助ける女子学生。そこに芽生えた淡い初恋。
唯一の救いになると思われた出会いも、あっという間に夢と消える。
そして、大量に、機械的に殺されていく捕虜たち。
戦争は悲惨だ。
それはわかっているつもりだ。
でも、戦争が終わり、一見、安定を保っているようにみえる社会にも、
実際は大きなタブーが横たわっている。
そこに描かれた普通の人たちが、当たり前に、真実を語れない世界。
語った瞬間に、国家に反逆したことになってしまう恐ろしさ。
でも、ほんとうに恐ろしいのは、現代に生きている自分にあるのではないか。
こんな映画は見たくない。救いようがない映画だ。
この映画のことを絶対見ちゃだめだよ、後味が悪すぎるから。
とアドバイスをくれた人がいた。
アンジェイ・ワイダ監督は問いかけているのではないか?
そういったいわば飼いならせれた感性に。
そのことに、疑問を持たなくてはいけないのではないかと。
アンジェイ・ワイダが、なぜこの映画を作ったのかという問いかけ、
それは、僕自身への問いかけにつながっていくのだと思った。
鬼畜としかいいようがない。
鑑賞日:2015.2.28